真田丸

NHK大河ドラマでも有名な真田丸。大坂城の南方というのは防御も薄くかったと言われていて、1614年の大坂の冬の陣において、真田信繁(幸村)が構築した城です。真田丸の背後には幅200メートルにもおよぶ深い谷があり、たとえ真田丸が落とされたとしても、その谷が大坂城を守りつづけてくれると見越して、この場所に真田丸を築いたと言われています。豊臣が大坂城に撤退し、幕府軍が大坂城を包囲したときに大活躍しました。前方には敵軍およそ30000、それに対し真田丸のなかにはおよそ12000の兵がいると言う状態でしたが、真田軍が前田軍を挑発、これに乗った前田軍は城壁に十分近づいた所で火縄銃で狙撃される。前田利常は、命令なく攻撃して軍が損害を被ったと怒り、兵を撤退、真田軍が見事に勝利を収めました。

金ヶ崎の退き口

織田信長が越前の朝倉義景を攻撃したところ、同盟関係にあった浅井家の裏切りにあい、挟撃の危機に瀕したました。そのため信長本隊が勢力地まで帰還するのを援護した戦いのことを金ヶ崎の退き口といいます。この戦のアツいところは撤退する際の殿(しんがり)、最後尾、つまり最前線を勤めた人物達でしょう。戦の天才三人が集まったのです。豊臣秀吉、徳川家康、明智光秀。殿は最も危険ですが3人の天才が死に物狂いで戦ったら・・・当然信長は生き延びることも、3人が生き延びることも皆さんご存知でしょう。そしてこの共闘した3人が後に裏切り、敵討ちをし、敵同士で相対するのもとても興味深いです。

島津の退き口

島津義弘は薩摩国の武将、大名です。1600年に起きた関ヶ原の戦いにおいて、石田三成率いる西軍が徳川家康率いる東軍に敗れ、西軍は次々に各部隊が敗走、そんな中で起きた戦です。島津義弘率いる島津軍300の兵が敵中80,000の兵の中で孤立してしまいます。もはや自害もやむなし・・・そんな中、島津がとった方法は
島津「敵は何処方が猛勢か」(敵の勢いが最も強いのは何処だ?)
家臣「東寄の敵、以ての外猛勢」(東側の敵勢の勢いが尋常でなく強いです)
島津「その猛勢の中にあいかけよ」(そちちらに向かって突っ込むぞ)
そう神風特攻・・・ではなく撤退でした。敵に向かって突っ込んでいきそのまま撤退したのです。よくわからないかもしれませんがこれが事実なんです。東に突っ込み迂回して西に逃げる、こんな無茶を島津軍はやり遂げたのです。島津義弘は兵や部下からの信頼が厚く、「島津を守るために死ぬならば本望」と誰もが殿を立候補します。結果この作戦は成功、300人の兵は80人まで減ってしまいましたが島津は無事に薩摩へ帰還することが出来ました。その後島津は西軍の関ヶ原参戦組では唯一の本領安堵となります。部下の無念を晴らした形になりました。

いかかでしょうか、緻密な策略から戦国オールスター登場、さらには部下との信頼があったからこその撤退、そしてその後のアツさはなかなか見事ではないでしょうか?

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