岐阜攻略戦・稲葉山城の戦い

稲葉山城の戦いは、1567年に美濃国井之口の斎藤氏の居城・稲葉山城を、織田信長が攻め取った攻城戦です。桶狭間の戦い等では目立った戦績はなかった秀吉が、岐阜攻略戦で墨俣に一晩で砦を築いて、稲葉山城陥落に大きく貢献しました。これが秀吉のかの有名な一夜城です。この作戦により秀吉の名声は一気に上がったと言えます。

備中高松城の戦い

備中高松城の戦いは、1582年に織田信長の命を受けた家臣の豊臣秀吉が毛利氏配下の清水宗治の守備する備中国高松城を攻略した戦いです。城を守る清水宗治は、3,000〜5,000の兵と備中高松城に立てこもっていました。低湿地を利用した平城であったためなかなか攻め落とせる状況ではありませんでした。そこで低湿地にある平城という城攻めを困難にさせるはずの利点を逆手に取って秀吉は水攻めを行うことを決定した。秀吉は即座に堤防工事に着手、わずか12日で完成させました。この策略で城は浸水し、兵糧がなくなったこと、援軍が来ないことを悟り清水宗治は秀吉との講和を決意しました。

山崎の戦い

山崎の戦いは、1582年6月2日の本能寺の変を受け、備中高松城の攻城戦から引き返してきた羽柴秀吉軍が、に摂津国と山城国の境に位置する山崎において、織田信長を討った明智光秀の軍勢と激突した戦いです。西暦1582年6月-7月、備中高松城の戦いが終わり講和に入ったところで、秀吉が主君である織田信長の本能寺の変での死を知り、速やかに毛利氏との講和を取りまとめ、主君の仇である明智光秀を討つため京に向けて全軍を約10日間にわたり大移動させました。これを中国大返しと言います。数で勝る秀吉の軍は天王山という山での陣取りを起点に明智軍を攻めました。士気が低下した明智軍は兵の離散が相次ぎ敗北。光秀自体はうまく逃げ延びたが力尽きて自害とも野武士狩りにあって死亡とも言われています。


彼は重大な場面で策略を駆使しつつも、恩を報いる人間だったのはこれら3つからも明らかです。そしてこの豊臣秀吉という男が戦国時代に終止符を打つ、つまり天下統一するんですね。

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